書籍「地球に暮らそう2」

幸せ感あふれる一日が、はじまる

ひつじはお腹がいっぱいになって座っている。もう充分に食べたのだろう。目を細めてうっすらと森の向こうの空を眺めて、ムグムグ反芻(はんすう)している。

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背中にはひよこが乗っていて、時に羊毛がからまったり。不意の寝返りをかわしつつ、集まってくる虫をせっせとついばんでいる。

朝の光を浴びているその横では娘のはるちゃんが餌の補充や敷きわらを動かし、ルンルン気分でお世話をはじめる。

ひつじ小屋に入るとまずは抱きつく。後ろから抱きついて、横腹を両側から挟むようにワシャワシャする。

次はふわふわの生きた羊毛に顔を埋めて匂いをかぐ。ひつじの匂いは動物の油たっぷりで甘い香りだ。

まあるい大きな身体が娘にすり寄ってくるから一層かわいい。ひつじをかき分けて大豆殻を餌箱に放り込むと、我先にと頭を突っ込んでモシャモシャと始める。

大方、食べ終わると満足感たっぷりで座り込む。反芻を始めたその隣に、はるちゃんも座る。
ちょっともたれ掛かって、なでながら目、耳、鼻の状態、毛の中の皮膚、ついている虫、話しかけながらその細かなところを観ていく。ひつじも身を任せて気持ち良さそうに目を細め、眠そうだ。

僕はため息が漏れる。お腹の底の方から胸の方にあったかいものが大きくなってあがってくる。なんだか力が抜けて、畑の世話の手が止まって、フワーっとなる。

「あー、平和だなぁ」ボケッとしていると
「朝ご飯だよー」と美里(みさと)が呼んでいる。

こうして僕の1日ははじまる。

Book Review

文化人類学者、環境運動家、明治学院大学教授
辻 信一さん

いやあ、そうか、こういう家族がいるんだ。ありうるんだ。とうとう現れたか、日本にも。なんと美しいシンプリシティ。なんとあけすけな快楽主義。よく遊び、はしゃぎ、笑う。悲しくて泣く時の涙さえ、明るいんだろうな、きっと。

遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ(「梁塵秘抄」より)

面白い夫婦だ。人に敬意をこめて変人と呼ばれている夫が、妻のことを、愛をこめてこう紹介する。「俺よりも変な人」。彼を驚かせてやまないのは、彼女の自由さ。いわく、「子育てにおいて、もの凄く自由なのだ」「全く経済性の心配をしない」「柔軟性は抜きん出ている」「誰とでも仲良くなれるという得意技をもっている」。そして最大の特徴は「僕を自由にしてくれること」

面白い家族だ。長女のはるちゃんのことを、父親はこう評する。「譲る、あげる、満足することを、いつでも無理なく自然体でしている」。そして「決心すると思いっきり大胆な行動に出る」。

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はるちゃんは、どうやら凄腕の少女アーティストであり、小説家なのだ。将来のことを訊かれた彼女は言う。「将来は、分かんないけど、変な人になってることは間違いない。変な人って、面白い人!」

長男のそうくんもすごい。大人になった時のことを訊かれて、「おおきくなったら何にもなんないよ。多分。ここに住みたい。やりたいことなんてわかんないよ」

互いの個性や自由をどこまでも尊重する底抜けの寛容さ。それが、人間以外の生きものたちや、生態系全体との調和した生き方と、見事なハーモニーを奏でている。

それは「環境保護」なんていうちっぽけなことじゃない。それが「地球に暮らす」ということなのだ。でも、大変だろうって?

はるちゃんの名言がある。今の暮らしで大変なことは何か、という問いに、「その時しか、大変なことって覚えてないから、森の中での暮らしで大変なことって思いつかない」

ぼくはふと自分の若い時のことを思い出した。ぼくは一切後悔しないことを人生のモットーにしてきたけど、この本を読んだ後には、ああ、これ、ぼくがやりたかった生き方かもしれない、と一瞬思わずにいられなかった。

でも次の瞬間には、ぼくが親しくしている多くの若者たちの顔が浮かんだ。するとまたワクワクしてきた。ぼくは思った。若者たちに、この一家のことを知らせよう。この本を読んでもらおう。そして、人生とは冒険なのだ、ということを伝えよう。

そして、もう若者とは言えないぼくたちも思い出さなければならない。誰もが、遊ぶために生まれてきたのだ、ということを。自然の恩恵を一身に受けながら、生態系の一員として働き、戯れ、表現し、与えられた人生の時を楽しみつくすために、この美しい奇跡の星に生を享けたのだということを。

ニワトリと暮らす

「ねーねー、何かへんだよ!」一緒にいってみると、普通は餌が欲しくてよってくるのだけれど、餌をやりに小屋に入っても、1羽だけ産卵箱から出て来ない。

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のぞいてみると「ぎゃーぎゃー」と威嚇する。
何とこのニワトリが抱卵を開始したのだ!卵を温めるという習性を取り戻したのだ!生き物の本来の力はすごい。

母鳥は24時間温め続けて1日に1回だけトイレに行って、餌を食べるだけ食べてまた巣に戻る。21日後、見事に数羽のひよこをかえす。

そしてこのひよこ達は翌年には母鳥となって孫となるひよこをかえす。こうして野生を取り戻し、ニワトリは自立していく。その子どもは白、黄色、茶色、黒、ごま、といったように色とりどりになった。

羽色もそうだけれど、鶏冠(とさか)の形、足の色、尾の形、全員違う。こうなってくると、子育てが上手いやつ、食いしん坊なやつ、いつまでも寝ているやつ、それぞれの個性が解るようになって、一羽一羽を認識できる。

四十羽のひよこが産まれると大体20羽はメスで20羽はオス。そのうちオス17羽はこの1年のうちに食べてしまう。これを繰り返していくうちに、野生に厳しく、人間に優しい、そして美味そうなニワトリが選抜され、その血を残していく。

こうなると飼いやすくて野性味のあるニワトリが増えてくる。「優しさがある」「人間に近い」そして、ニワトリ本来の生命力にあふれている。

庭に放たれたニワトリは夕方、日が暮れる1時間前には小屋に自分で戻ってくる。僕たちは何にもしない。鳥は夜になると目が見えないから一番安全な場所で寝たい。

だから、勝手に戻ってくるのだ。そして毎日、卵を提供してくれて、草刈りしてくれて、害虫駆除してくれて、自分で必要な餌を探して食べて、お肉を提供してくれて、なんて献身的で素敵なニワトリ!ありがとう!

Book Review

日能研代表
高木 幹夫さん

自分が生きている一部に循環型の生活を入れたいとしたら…。
この本は参考になるのだろうか?だからと言って加藤さんにはなれない。どうやらとても困ったことに、答えはたくさんあるようだ。

自分で見つけ出すことらしい。参考にできるとしたら、それは読み手の力だろう。たくさん売るための方法をとらず、読むという意思を持った人だから読み手になる。加藤さんとかかわった人が読み手になる。それが良いのだと思う。ある意味でこの本は劇薬だから。

・・・とこうなるとこの推薦文自体に意味があるのだろうか?ということになるが、気を取り直して書き続けるとしよう。

この本を読んだことで改めて「キャリア教育」という言葉の持つ意味について考えさせられた。成長の限界・エンデの遺言・持続可能な開発・エシカル消費などなど、沢山の人が、本が考え方や警告を発信している。それらを聞き、読んだときに「そうだよな」とか「どうにかしなければ」とか思うことはあっても、本当の意味で自分が育った道、育ち方、考え方に疑問を持ち、問い直すことは起きないのでは、と思う。

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この本はちがう。改めて学校教育の力を思い知らされる。学ぶ対象の限定力、それ以外は考えない無思考力を育てる力と言ってもいいか。

自分の中にどんな当たり前を作ってきていることか。自分の未来をつくる、「世界を広げるチカラ」を育てているつもりだったけれど、どうやらそれはある限られた世界、「お金」という経済活動を伴った世界だけがその対象だったということだ。

もちろんグローバルなお金を何一つ使わないで生きていくことはできない。加藤さんだってそうだ。車にも乗るし、携帯電話だって持っている。社会とつながるためには年金だって税金だって必要だ。

グローバルなお金との部分と循環している部分の比率。自分が生きている「全体」の中の「部分」の大きさだと考えればどうだろう。
グローバルなお金はあくまでも「部分」「一部」であって、支配されるものではないんだという考え方。

この考え方をキャリア教育の中では教えてくれない。農山林漁村体験の中でも知ることのできるチャンスはあまりないだろう。

仕事をする、会社に就職をする以外の生き方。肩肘を張らずにこんな生き方も楽しいよ、と加藤さんは発信している。先ずは一歩でもと思う人が生まれたら、それがこの本の意味だろう。

馬がいる暮らしの意味

僕は数年前から「馬を飼うんだ」と公言してきた。その時、深い理由は見当たらなかったけど、馬に乗って小学校へ娘のお迎えに行って「さあ乗りな!」といって、…

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手をひいて乗せて一緒に帰ってくる。そんなお迎えにあこがれがあった。そのころから数年後には馬を飼うんだろうな、と自覚していた。

毎年、畑や田んぼを続けていくと、生態系の仕組みに沿うことができていないと感じることがある。それはトラクターを多用する時だ。いかに石油に依存しているかをまざまざと見せつけられる感じだ。

昔の農家が自然とともに暮らし、動物や植物、気候風土と調和しながら暮らしていたという事実に敬愛の念が沸いてくる。

何とかこの馬耕文化を復活し、ある程度の効率のいい馬耕道具の開発をすることで日本全土に普及したい。
そして、大型の家畜と共に暮らし、伐採した樹々を搬出したり、穀物を石臼で挽いたり、大量の荷物を運んだり、共に働く文化をきちんと育んでいきたい。

僕の興味は生態系の循環の中で自立することにある。そんなことを考えながら、まだまだ僕も石油にも電気にも依存した暮らしを続けている。

ほんの50年前の暮らしぶりを振り返ったとき、馬や牛が荷馬車を引いて、田畑を耕し、堆肥を作り、そういった大型家畜と一緒に暮らし、働いてきた文化が存在する。 当然だけれどその中では化石燃料をほとんど消費していなかったに違いない。

頭の中で想像すると「やっぱり!これだよなぁー」っと、憧れの存在にボケッとしてしまう。

毎日、餌をやって、調教して、信頼関係というベースがあってその上で馬に乗って出かけていく。用事を済ませている間に道草をおやつ代わりに食べる。
帰ってきたらおつかれさま。たっぷりとそこらへんに生えている雑草をお食べ。

何よりも僕の好きな世界に居ることができるのがうれしい。そして、自らを食料として、肥料を提供し、移動手段として、動力源として、家畜の機能は素晴らしい。
あとは、僕たちがどうやってうまく利用できるように工夫するかだ。

Book Review

公益社団法人日本環境教育フォーラム理事長
川嶋 直さん

新しい時代の生き方の実験(経過)報告を読むような気分です。
大吾さんのような生き方・暮らし方は、都会の中で日々時間と成果とお金に追われながら生きている人たちにとっては、「信じられない」「夢の様な」「ありえない」ことかも知れません。

時代は確実に動いています。
僕は1969年に高校に入学していますが、あの頃の市民運動は「何とか反対!」と声をあげる「問題提起型」の運動でした。

その後、ただ問題の在処を指摘するだけではなく「こうしたら良いのでは?」という「代案提示型」の運動に変わってきました。
そしてここ数年は「こうやってみました!」という「やっちゃう型」の運動(というかリアルな暮らし)の実例が各地で生まれています。

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勿論今でも問題提起も代案提示も重要な役割ですが、当時では考えられなかった「自分でやっちゃう」人たちの登場は実に説得力のある存在となっています。

加藤さんを見ていて「いいなぁ~」と思うのは、一方で地に足の着いた(実験的な)生活を営みながら、同時にその経過や成果を多くの人と積極的に分かち合っていることです。

自分の家に多くの人を迎えいれるだけではなく、全国的なフォーラムにも積極的に出かけるし、地域で環境団体も結成する。このような場で発信すると同時に受信し続けている。

決して厭世的な田舎暮らしではなく、世の中を変えてゆこうというその前向きな姿は見ていて実に気持ち良いです。

何が幸せなのか、何が豊かさなのか。この解への実験をし続ける大吾さんへの応援はこれからも続けます。

自分で家を建てる

僕の敷地にある建物は全部自らの手で建てた。母屋、ゲストハウス、ニワトリ小屋、薪小屋、羊小屋、そして今年、馬小屋だ。どれも1人で建てたものではなく、…

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その時々で集まったみんなの力を借りたり、ワークショップにしたりして建ててきた。
芸術的とか、みんなでやるのが好きとか、そういうことではなく、有り余るようなお金を持ち合わせていないから、廃材やB級品を使って仲間に手伝ってもらってやってきた。

僕たちの森の中の暮らしでは鉄板でできていて頑丈な錠が付いている扉はいらないし、壁や屋根が薄い方がカエルの歌や風の音、雨の音が季節を感じさせてくれて心地いい。

だから、そんなに立派で壊すのに苦労するような豪華な家は必要ないみたいだ。重機などを使わずに、さっと、数人で作れて、経済的にも負担が少ない家がいい。

そう思うと、一生かけてやっとこさ自分の家を手にいれる。そんな大きな負担をかけて家を手にいれる動物は人間以外に僕は知らない。

建築は誰かに教えてもらわなくても、回数を重ねるごとに上手くなるもので、とうとう、"大吾工法"というある程度の工法まで確立してしまった。

最近、大吾工法ワークショップ2泊3日で馬小屋でさえも立ててしまった。一緒に建ててくれた仲間が「自分でもできるんだって思いました」「意外と簡単でした」って、うれしいコメントをしてくれる。

自分の手で家を建てることができると、人生の幅は一気に広がる。「おとうちゃん、大きくなったらカフェをしたい」「おーーそうか!じゃあ、お店はおとうちゃんが建てるから予約ね!」「やったーー!」

数百万円の借金を返済しながらのカフェ経営は大変かもしれないけれど、これなら自分がやりたいことへの欲求に向けて気軽にチャレンジできると思うのだ。

そして、いろんな可能性を想像しているこどもたちを見ているとワクワクする。娘の彼と一緒に家を建てることになるのかな?

Book Review

トランジション・ジャパン共同代表
たねまきハウス共同オーナー
吉田 俊郎さん

この本を手にして思い出すのが、2004年にパーマカルチャーセンターで加藤大吾さんと会った、あのキラキラした目の輝きです。

ちょうどその年か翌年、今現在拠点にしている都留に土地を購入して、すでに頭の中は、家づくりの場づくりの構想がどんどん広がっている頃だったんだろうな。

彼は新宿を離れて田舎暮らしを始めたのが、僕より6年ほど先を行っているので、彼がやることはとても刺激的で面白い。僕がやりたいことと、大切にしていることがかなりオーバーラップしているから共感する部分が多い。

この新しい本は、都会にいて何とかもっと自然に近いところで住み、自給自足的な暮らしをしたいと妄想している方、世の中が持続可能な社会にシフトできること(トランジションタウン)を願って居ても立っても居られないけど何から始めていいか分からないでいる人に読んでもらいたい。

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そうです、まだ悶々としているあなたです!(笑)この本はきっとそんな方の背中をぐっと力強く押してくれることでしょう。

大吾さんは気持ちいいほど生き方がはっきりしている。自分がやりたいこと(楽しそうなこと)は実行に移す。失敗してもいいから、とりあえずチャレンジする。失敗は成功するための考える要素でしかない。

とにかく楽しそうだからやっちゃおう!そして家族や周りを巻き込んで、一緒に笑顔にすることが得意なのです。
この本にはそのエッセンスがたくさん詰まっています。

ぜひ、まだ自分がやりたい方向に向かっておらず、したいことができていないと感じている方、これから田舎に移住して、自分も地域の方も喜びを分かち合える暮らしを作りたいと思っているけれど、何から始めていいかわからない方におすすめです。

僕も大吾さんが活動している後を南阿蘇で一歩一歩実践して追っています。(笑)

森暮らしの子育て

時々、危ないからという理由でこどもを止めてしまうことに、「もったいない」と思う。本当に危ないことは避けるべきだが、もしかしたら親が危ないと思っているだけかもしれない。

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もしくは「そう言いたいだけ」なのかもしれない。
その瞬間に「本当はどうなのか」と親は試されている。

転ばぬ先の杖という言葉があるけれど、僕たちはわざとその杖を捨ててみた。ナイフを持つ、大工道具をいじる。にんじんを切る。木登り、崖登り。
そういった、自分で何かを試している時に、僕も一緒に楽しんでいる。そして痛いこともよく起きるし、大根がちょっと赤く染まっている時もある。それでいいのだ。

もしも、それを止めてしまうとせっかくの学びの瞬間を奪ってしまうことになるからだ。

あそこで遊ぶのは危ないから行っちゃダメ。この枝は怪我をしそうだから持たないの。

その"杖"が体験的な学びと主体性をもぎ取ってしまい、暮らしぶりの選択肢を限られたものにしていく。

そして子どもが大人になった時に親が選んだそれが本当に幸せな選択肢かどうかなんて、誰も解らない。
それに、もし本人の望みと違った時は悲劇だ。

自分の人生を自分で決めていくんだよ。あなたが大人になった時に何が幸せなのかは、わからないんだ。
その時々で自分で決めて歩むんだよ。

失敗しても大したことないよ。ちょっと痛かったけどな。今までと一緒さ、もう一回やればいいんだよ、と伝えるだけで十分なのだ。

僕たちが子どもにしてあげられることは数少ない。
本人が学びたいと思った時にその環境をそれなりに整えてあげること、可能性を広げる適切な刺激を与えてあげること、そして、僕の背中を見せること。

つまり子どもの人生の選択肢を増やすことだ。

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森のようちえんピッコロ 代表
中島 久美子さん

田畑や家畜と共に過ごす生活は私の憧れの生活でもあります。
そしてその憧れの生活を実際にされている方に対していつも思うのです、さぞかしパワフルでものすごい方なのだろうな!と。

この本を読み大吾さんはやはりそんな方でした。
パワフルですごい方。

しかし、もっと読み進めて行くと私にももしかしたら少しは大吾さんの真似ができるかもしれないと感じてくるのです。
不思議なことに。

それはもしかしたら行間からおおらかで自然体な大吾さんが伝わってきたからかもしれません。

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私はもっと知りたくなり「地球と暮らそう~生態系の中に生きるという選択肢~」も熟読しました、なるほど!オススメです。

そして加藤家のお子様方はこんなことも言うのです。
「ゲームって、なにがおもしろいんだろうね」と。

"ゲームよりも読書しながら妄想にふけったり、本に書いてあることを自然の中でみつけ、本物にふれることの方が楽しいらしい"
しびれます、このセリフ。

センスオブワンダーの世界です。
こんな子どもたちはこれからの社会にどんな花を咲かせてくれるのでしょう、楽しみにしています!

自給するための農

この地に移住して以来いろんな形で農のスタイルを試してみた。そして今、自分が求める暮らしぶりにしっくりくる農のスタイルは「ちょっと足りないくらいに作る」こと。

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必要な分はどのくらいなのか?
落ち着いたのは田んぼ1反(300坪)、麦5畝(150坪)、大豆5畝、野菜3畝、耕作面積は全部で2反3畝(690坪)。

麦と大豆は時期をずらして同じところを使っているから、実際に管理している面積はたったの1反8畝(540坪)しかない。
これで、家族6人とお客さんが食べていくのにちょっと足りないかな?というぐらいは収穫できる。

この「ちょっと足りないかな?」というのが大切にしたいところなのだ。
耕作面積を大きくしすぎて手が不足し、収量を減らすよりも、小さくてもきちんと管理してそれなりの収量を穫る方が作業的に楽だし、費用的にも少なくてすむ。

僕にはこのスタイルがぴったりくる。

僕たちも年々、栽培方法を学んでいくけれど、実は大豆も学んでいる。「この旦那、本当に雑草たちをとってくれないんだよ」「このタイミングは頑張らないとなー」とか言っている。

つまり、雑草に競り負けない大豆しか大きく育てないのだ。学習した大豆の出来を観て、「この株はよく学習しているなぁー」とほくそ笑んで、これを来年のタネに回すのだ。
そういう環境を用意して、作物の力を最大に発揮させてやることが成功の秘訣かもしれない。

自家製の鶏糞堆肥を少しだけタネと一緒に入れてやる。それだけで、収量がぐんと上がる。だから、土をみて、どのくらいが適正なのか判断することが重要だ。

6月末になったら小麦を収穫して、今度は大豆を蒔く。季節と作物の特性と上手くお付き合いして1年をめぐっていく。

同じ畑を使うことで余分な草刈り作業がなくなるし、麦わらもその場で使えるから移動する手間もない。その畑とのお付き合いも深まって上手にさぼって、季節が全て繋がって環になる。こういうの好きなんだ。

Book Review

半農半X研究所
塩見 直紀さん

山梨の都留で馬耕をやってるすごい人がいる。そんなうわさの人物とぼくは1年前、「つなぐ人フォーラム@清里」で初めて出会った。

加藤さんの新著にいっぱい線を引いたぼくが特に注目したこと、みんなと共有したいと思った3点を紹介したい。

1つ目は「やっぱり、この土地に腰を下ろさないと使命が降りてこない。やるべきことが降りてこない」と書いていること。
講演でぼくは「場所が決まれば修業が始まる」という先哲の言葉を紹介する。東京ではこの言葉に戸惑う人も多い。ぼくはそれを「場所問題」「根っこ問題」と名づけているのだが、なかなか根深い問題だ。

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2つ目は、加藤さんは移住以来、農のスタイルを色々試みるなかで、しっくりきたのが「ちょっと足りないくらいに作る」ことだという点。行き過ぎた時代、ぼくらが取り戻さないといけないのは、謙虚さだ。

3つ目は、加藤さんが近所のおばあさんから、働き者だと言われたこと。そこから周囲の見る目や関係性が変わっていったこと。
村人は働き者を評価し、リスペクトする。田舎で農的なことをめざす人は、このことを忘れないでほしい。

最後に、加藤さんからぼくが個人的に一番影響を受けたことを。
それは自分のしていることを英語で自分で伝えたいと、フィリピンに短期留学に行ったことだ。ぼくも加藤さんに習い、半農半Xのことを英語で伝える努力をしていこうと思う。

加藤さんはこれからもぼくをインスパイアし続けてくれそうだ。

貢献できること

南太平洋や東南アジア諸国からの20~30名の若者たちは日本に到着すると数日はハイテクノロジーの世界を視察する。そしてそのあとで、都留市のかとうさんちに来るのだ。

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自分で開拓して家を建てたこと、家畜を飼育していること、一通り説明していく。大抵、一言目は「ここはお祖父ちゃんの家と一緒だ」と言う。
そして「本当に幸せなのか?だってせっかく東京に住んでたのに、なぜテレビもない環境を選ぶんだ?」と問われる。

僕は「もちろん幸せだよ、テレビは捨てたんだ。僕はここを選んで来たんだ」と返す。

どんなものを大切にしたら幸せになれると思う?
と問うと、驚いたことに万国共通でこう答える。
「家族、伝統、自然、手作りの何か」。

そこで次の質問として「幸せになるにはどんな国作りが大切なのだろうか?」と投げかける。
この質問の後は全員が激論になる。「やっぱり開発が必要だ」「自然と伝統は残さないと意味がない」。

先進国・日本に自らの将来を期待して視察しにきたアジアの人たちにとって、あえてこういう暮らしを選択し、幸せに暮らしている日本人が目の前にいるということが、その議論をより活発にしている。

こんなとき僕は「海外に対してこそ、何かやるべきことがある」と目の前にちらつくのだ。コンクリートジャングルではない日本の文化や自然。そして自然とともに生きる豊かさ、幸せ感。

日本が経験してきた高度成長期から学んだこと。本来持っている本当に素晴らしいものを、彼らに伝えたいと思うのだ。

そして、幸せは一人一人の中にあって、みんな違うんだ。暮らしぶりが多様な方が全体として幸せなんだと。

そして、日本での僕の暮らしぶりは、幸せの多様性の一端を表現し、世界の平和に貢献できるのだと確信している。

Book Review

よく生きる研究所 代表
榎本 英剛さん

大吾さんはほんとうに自分に正直な人だ。そして、自分に正直な人は他人に対しても正直なんだと思う。

でも、大吾さんのすごいところは、それにとどまらないところだ。彼は動植物や広く生態系を含む自然に対しても正直に生きている。この本を読んで僕が一番感じたのは、そのことだった。

この本には、大吾さんが今から約10年前に山梨県都留市に移住し、山林を自ら切り拓いて建てた自宅での生活を始めてからここまでの歩みがそれこそ大吾さんらしく正直に、等身大の飾らない語り口で綴られている。

そこに説教臭さや「べき」論は一切なく、あくまでもこれからの生き方・暮らし方の一つの選択肢として提示されている。

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実際、大吾さんのような生き方・暮らし方ができる人はそうそういないだろう。そして、みんなが彼のような生き方・暮らし方をする必要もない。でも、きっと僕自身が感じたように、多くの読者は彼のような生き方・暮らし方にたまらない魅力と憧れを感じることだろう。もしもそういうことを感じたならば、一足飛びに同じようなレベルをめざすのではなく、自分ができるところから、自分の心が動くところから始めればいいと思う。大吾さんもきっとそれを望んでいるのだろう。

大吾さんは本の最後の方で「成功のビジョンではなく、衝動を真ん中に据えて生きる」ということを人生のポリシーとして紹介しているが、まったくの同感だ。僕自身がよく使う言葉で言うと、自分の「内なる声」あるいは「純粋意欲」にしたがって生きる、ということになるが、このような生き方は一見いい加減で、筋が通っていない生き方のように思えるかもしれない。

でも、この本を読むとわかるように、大吾さんはその時々の衝動に正直にしたがいながらも、「生態系の中に自分を位置づけて暮らす」ということを一貫して追求している。これは彼の「存在意義」とも言えるものだと思うが、彼の様々な衝動も元を辿れば、すべてこの存在意義から生じているのだと思う。

このことは、僕自身の経験から言っても、世間体や常識にとらわれず、自分らしく幸せに生きるための秘訣とも言えるものだと思う。と同時に、大吾さんが自分たちの暮らしだけでなく、地域の幸せにも次第に目を向けていったように、それは自分や家族を幸せにするだけでなく、ひいてはより多くの人たちの幸せにつながっていくのだ。そういう意味で、この本は自分らしい生き方や暮らし方を志向している人たちだけでなく、自分独自のリーダーシップを発揮したいと望んでいる人たちにとっても大いなる刺激に満ちた本だと思う。ぜひご一読あれ。

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