
2005年 ただ、森の中に住みたかった
移住のきっかけは、仕事がうまくいかずに戻った東京で土を踏まない生活が、なぜか、しっくりとしないとこに気がついてしまった。ちょうどその時、長女も生まれたばかりで、都心での子育てに疑問を感じていた。私たちにとって最もいい刺激をくれる、いるべき場所。それは森の中に違いない。その直感に従ったのだ。
2007年 生態系に見せられる
森を開拓して、整地して、建築する。完全セフルビルドのログハウスでの暮らしが始まる。日々、着々と暮らしが手作りされていった。ある日、スーパーで買ってきた野菜の種5袋を手のひらにあけて指で混ぜる。それを開拓したばかりの山にばら撒いてみた。3ヶ月がたったある日、気がつくと、蕪が、ミズナが、レタスが、食べられるものがあちこちに生えているではないですか!種を撒くだけで食べ物ができるって、なんという素晴らしい仕組みなんだろう。そして、畑と田んぼを開始し、自給生活がスタート。
2008年 循環の中に入る
ニワトリが卵を温めてひよこを孵すように、いろいろと試みるものの、なかなかうまくいかなかった。試行錯誤を続けて3年目。とうとう卵を抱き始めた。数は少なかったものの、ひよこが孵り、ニワトリへと成長していく。そして、その次の卵を産み始めた。その時以来、ひよこを購入しないで、卵と鶏肉と肥料が手に入るようになった。お金を使わずに生態系に食べさせていただく暮らしに変化した瞬間だった。
2010年 一人では幸せになれない
僕の暮らしは日進月歩で進化を遂げていった。トイレや水道すらない暮らしから、お湯が出るし、簡易水洗トイレに進化していく。畑や田んぼでは自分が食べるには十分な野菜たちがたわわに実るようにもなった。自分の暮らしの野性と文明のバランス感と充実を感じていた頃。我が子が学校に行くようになったりすることで、地域へと感心は動いていく。この頃、「自分の幸せは地域全体の幸せがないことには、あり得ない」と感じるようになる。この時、様々な方々に声をかけられ、NPOを設立することになる。ここから公の仕事と人材輩出に力を傾けるようになっていく。
2011年 自分にも世界を作れる
東日本大震災では、都心とは正反対に、かとうさんちの暮らしは全く平穏であった。この暮らしぶりがあるから、震災支援に乗り出すことができた。個人的に組織した「名もない救援隊」は支援物資300t、支援金800万円を集め、「届いていないところに届ける」を自ら現地に出向き実践する。現地で大先輩に「お前は俺の言うことを聞く必要はない」「好きにやれ!」と言われて、本当に好きにやる。やってみて、「自分も世界を創れるんだ」と、確信を得る。
2014年 広がる意識
台湾で自著「地球に暮らそう~生態系の中に生きるという選択肢~」が訳本出版される。また、海外からの視察を受け入れるようになり、かとうさんちという「暮らしのカタチ」が新興国の人々に新鮮に受け止められ、その「幸せ感」を伝えることが全体の平和をもたらすのではないか?という好奇心にかられ、英語を勉強し始め、自分の口で伝え始める。
2016年 好奇心に従って自分を使う
「水牛と山岳民族の"循環する暮らし"の旅inフィリピン」を実施する。参加者と共に現地の村に入る。「"伝統文化"と"高い精神性"が"誇り"や"絆"を育み、暮らしを持続可能にする」と確信する。
ベトナムでの2週間のビジネス研修にチームビルディングと環境教育の志向を盛り込み、実施する。この組み合わせは世界観をより広くし、また、幸せ感を豊かにする。より良い社会を作るための人材輩出に重要だと、確信する。
これらを統合してソーシャルビジネスマインド醸成プログラムを模索。